今まで心に留めておいた、誰かに言いたいことメモ

こんばんは。2日続けての投稿です。

昨日は荒ぶってましたが…おかげさまで、大分落ち着いてきました。

浮気した父親のお母さん…私のおばあちゃんですね。車で1時間半くらいのとこに住んでいるんですけど、会いに行って…ひょんなことから、母親と不仲な話をすることに。聞いてもらってアドバイスもらって、かなり落ち着きました。ありがとう、おばあちゃん。

 

そんなわけで、今ならいけると思う。母親から言われた&やられた嫌なことを書き出して行きたいと思います。

 

・幼少期、重いという理由で抱っこを断られた。(妹は高校あがるまで抱っこをせがんでたのに、母親はそれを許した)

 

・スキー合宿に無理矢理行かされた。帰りたいと言ったら怒られた。

 

ここまではブログに書いたこと

 

いきものがかりを歌ってたら(それなりの声で歌ってたのが気に食わなかったのか)『お母さんはいきものがかり嫌い』と言われた。

 

・家事をすっかり忘れたら『あんた障害なんじゃないの?!』と怒鳴られた。ちなみに母親は小学校教員。

 

・生理痛ひどくて家事やらなかったら、寝てる私に怒鳴り散らす。『お母さんだって大変なんだよ!!!』知るか。腹が痛いんじゃ腹が。

 

・『あんた本当に常識ないよね!』『非常識!』と言われた。

 

・『お母さんはあんたの小間使いじゃないんだよ!!!』と言われた。

 

・私がちょっとでも意見すると『そんなこと言ってるともうお金あげないよ?!(スマホ解約するよ?!)』と脅す。おかげで自分の意思がどっか遠くにいってしまい、自己肯定感だだ下がり。

 

・『ふゆなら何でもしてくれそうで、つい…』

つい暴言吐くの?まじ信じらんない。笑

 

・暴言吐くなら私に話しかけないで欲しくて、無愛想な態度をとってたら、『お母さんはそれに傷ついた』『謝ってるのになんで許さないの?』『そんっっなにお母さんが憎いかい』と、被害者面。

 

・『いい加減にしろよ。いつまで被害者ぶってんだよ』いつまでもいつまでも、私は被害者ですよ。

 

多分まだまだあるけど、とりあえずここまで。

 

 

2020

年が明けた。ついに始まっちゃった2020年。あけましておめでとうございます。

 

一応めでたい日なんだけど…さっきちょっと思い出したので、ここに逃げることにしました。新年早々ごめんなさいね。笑

 

11月末、従姉妹(姉の方)が結婚式を挙げました。4歳上だから、今26かな。新郎さん、すごく優しそうな人で、2人や従姉妹家族がすごく幸せそうで、とってもいい式でした。

 

でもその分、私の気持ちはすさみまくり。まず前夜の段階で、母に冷たい態度をとっていたら、台所に閉じ込められました。『冷たい態度をとる理由を教えてくれるまで出さないから』。まだ風呂にも入ってなくて、結局出れたのが2時頃。寝れたのが3時頃。出発が6時前なので起床は5時。本当に意味わかんなかったよなぁ。

 

まぁなんで冷たい態度(いうて無視はしてない)とっていたのかというと……感動的な(笑)仲直りして、初めて母にお願い事をしたの。そしたら

『私はアンタの小間使いじゃないんだよ!!!』

って怒られた。

仲直りしてから、家事を結構手伝ってるつもりだった。ほぼ毎日皿洗いしてたし、洗濯物だって干すこともしばしば。お小遣いももらってないし、友達は親からお金もらって旅行行ったのに、私は全部自費。学費だの車だの、しょうがないこと以外は、全部自分でやったんだよ。

それでたったの1回お願いしただけ。それも、うどんとアイス買ってきて欲しいなぁ…って言っただけだよ?(笑)

小間使いだなんて、思ったこともない。それどころか、忙しいお母さんを手伝おうと思ってた。買い物も、夕飯のついででよかった。

 

信じられないよね。“忙しい”だとか“妹(受験生)に気を遣ってるから”なんて、言い訳にならない。『お母さんも傷ついてるんだけど(威圧的)』どの口が言ってんの?私はもう、ずっとずっと昔から、アンタに心殺されっぱなしだよ?笑

 

一瞬決心が揺らいだけど、もう迷わない。私は春から、ちゃんと一人暮らしします。

 

 

話が逸れました。その従姉妹と叔母夫婦が、私が小学生の頃、冬休みだかお正月に遊びに来た時の話です。

泊まりでおじいちゃん家(私の家から徒歩3分)にきたんですけど…その最終日、なんと私の母親が、私のスキー合宿に申込をしました。

 

(ちなみに私の住んでるところはあまり雪が降らず

高速で2時間のスキー場まで行かなければ、スキーができませんでした)

 

スキー自体は、母親の趣味で…なぜか私が中学あがるまで、いつも連れていかれました。

私はスキーが好きとか全く思わなくて…塾と同じ、“習い事”のジャンルでくくっていました。

 

従姉妹がくるまでは納得していたつもりでしたが…やっぱり行くのが嫌で

従姉妹達が帰る前日、おじいちゃん家で『行きたくない』って母親に言いました。こんなこと母親に言うの、マジのマジで珍しかったんです。

 

当然、母親は大激怒。(自分は行かないのにだよ?笑)

そしたら…母親にあまり意見しない祖母と父親が、ちょっと味方して……いやてかむしろ、母親を責めようとしてたのね

 

もう当時は…お母さんのことが大好きでさ

スキーはあんま好きじゃないけど、お母さんが当たり前のように連れていくから、それに異論したことなかったの。

なんか、“絶対的なお母さんが責められてること”が悲しくなっちゃって

別に、無理矢理合宿行かせようとしたお母さんを責めたい、とかそういうことじゃなくて

ただ従姉妹と、遊びたかっただけなの

それで泣いて……叔母さん(母親の妹)が、『一番可哀想なのはふゆちゃんだよ』『板挟みになってさ』って言ってくれて…この間結婚した従姉妹が、私の背中をさすってくれた。

 

この間の式で、それ思い出して。そりゃ、あそこでああ言えて、ああいうことしてくれる人達だもん、幸せな結婚式になるわ。って、めちゃくちゃ納得したっけ。

 

家帰って…母親にぶっきらぼうに『好きにしな』って言われた。

でもさ、親からの『好きにしな』って、『それやったら(今回の場合は休んだら)承知しないからな』と同義じゃん?

だからね、結局行ったんですよ。友達誰一人いないスキー合宿に。

 

もう一度話逸らすと……この間浮気した父親だけが、『泣いた理由、お母さんが責められて嫌だったからでしょ?』って見事に当ててた。母親と結婚しなきゃ、きっともっとマトモな人間になれたのに。ちょっと可哀想だなって思う。

 

まだまだ続きます。私、ある種のコミュ障なの。行けると思えば行くんだけど、仲良くなれそうにないと思ったら、思いっきし引いちゃうんだよね。

スキー合宿、まさしくそれで。もう既に、毎年合宿に参加してる女子でグループができてて。いじめられてた訳じゃないけど、全然仲良くなれなかったの。すごくすごく楽しくなかった。たしか4泊5日。幼いながら頑張ったよね?私。笑

 

合宿っていっても、雪山に泊まりこむだけで…レッスン自体は大人も子どもも受けられるの。大人の方が多いかな。だから三日目に母親来てさ。一緒にレッスン受けたのね。

母親に会えたの、本当に嬉しくて。リフトに乗る度に、もう合宿やだな、早く帰りたい!ってずっと言ってたの。

 

そしたら…それに母親がキレて。何がきっかけでキレたのか、なんて言われたのか、全然覚えてないけど…リフトでの沈黙が、すごくすごく悲しかった。

 

私ね、お母さんのために頑張ったんだよ。

お母さんのために、従姉妹と遊びたかったけど我慢したんだよ。

その言葉を飲み込まずに

我慢せずに言えてたら

 

私は今、もっともっと幸せになってたのかな。

 

新年早々、過呼吸起こさないで

母親に、『酷いこといってごめんね』『ふゆなら何でもしてくれそうで、つい…』なんて、謝られて逆に傷つかずに

夢も希望も、ちゃんと持つことができて

やりたいことも明確になれたのかな。

 

私は、何のために生きてるのかな。

 

 

 

 

 

言葉にできない気持ちを、とにかく書いてみた

1週間くらい経ったと思う。ひょんなことから、母親に母親が無理な理由をぶちまけた。

母親は謝ってくれて、仲直りみたいなものをしたけど、やっぱり私の中ではまだわだかまりがある。

表面上は愛想笑いしてるけど、母親の前で心の底から笑うことはない。

ちょっと息苦しい。でも今後の生活を考えると、その“ちょっと”を我慢しなければならない。今年の春、それが積もり積もって母親を嫌いになったんだけどね。


今日母が、しま〇らで安かったからと言って、高校生の妹にスキニーを買ってきた。

妹がスキニーを使うとかそういう訳じゃない。ただ母が行って、可愛くて安いという理由だけで買ってきた。


母は私が高校生の時、そんなこと1度もしてくれなかったのにね。

 

母親が忙しかったのもある。私が暇だったのもある。今の妹がめちゃくちゃ忙しいのもある。母はきっと私の服の好みを知らない。サイズも分からない。だから私の時は買わなかったし、妹には買ってきたんだと思う。

もちろん、今回だけじゃない。私は言わなきゃ欲しいものをくれなかったけど、妹には時折、自発的に物を買ってくる。

 

気持ちを文字にできないけど、なんだか悲しい。泣きそう。声を手前で抑えてる。

 

『あれが欲しい』『これが欲しい』そう言うのが、なんだか申し訳なくて

そう考えると、私はひどく邪魔な存在なんじゃないかって思えてきて

いっそ、そうであって欲しくて、嫌ってたあの頃に戻りたいと思えてきて

 

しんどい。仲直りして『仕事が安定するまでこの家にいな』って言われたけど、やっぱり1人暮らし、しよっかな。

 

今更優しくされたって、信用しきれない。心が痛い。

 

決意

こんにちは。ふゆです😊

現在、就職試験も終わり、夏休みを満喫している最中。この間某ネズミーシーに行って、新アトラクション乗ってきました。乗る前は、みんな流行りに乗っちゃって(笑)ってバカにしてたけど、いざ乗ったら圧巻だった。シーのアトラクション史上1番好きかも。行ったらぜひ乗ってみて欲しい。

 

家族に内緒で友達と行ってきました。母親とは相変わらず分かり合えないまま。『こっちは汗水垂らして働いてるのに、いいよね。』…なーんて嫌味言われるのもしんどいので、お土産も買ってこずに行ってきました。めっっさ楽しかった✨ ちなみに父親はしばらく前から家にいないんだ。離婚したのかなぁ?そこは知らないけど、浮気バレて別居なうって感じ。お互い幸せなら、それでいいよね。笑

 

それはそうと。学生生活も残り半年を切ろうとしてるんですよ!!ぎゃー、働きたくないぜ…

てことは?そうです、近づいてきてます卒業式。袴、着ますよ〜

成人式を思い出すよね。朝めっっちゃ早起きして、髪巻かれて化粧させられて……いざ行ったら、男子達は5分で着れるスーツ着てて。殺意湧いたなぁ。笑

 

もう1つ思い出すことがあって…私、母親のお古を着たんですよ。薄桃色で桜がたくさん描かれてるやつ。ただ、私より母親の方が身長小さくて腕も短かったので、何とかギリギリまで振袖の肩のところ落として、袖が短いのカバーしたんです。

周りの人達も『綺麗な色ね〜』『状態もよくて、素敵!』なんて、いろいろ褒めてくれたんだけど……私、正直に言うと、広瀬すずちゃんが着てる赤い振袖の方が、好きだったんだ。

確かに母親の振袖も可愛いの。可愛いんだけど…好みってあるじゃん。赤くて大きなお花がいっぱいあって、和モダンな感じ。断然そっちのが好きだったんだよね。

でも、あんまりお金かけるのも申し訳ないし、みんなが素敵素敵言うから、言い出せなくなって…結局そのまま、成人式行ったわけ。

 

あれから2年が経とうとしている。早いなぁ。20代なんて、あっという間なんだろうなぁ…ま、それは置いといて。成人式でちょっとモヤモヤしてたし、今は母親と仲悪いし…今年の袴、自分で全額出そうかと思ってるんです。

母親は『出してあげるよ』って言ってたけど…成人式みたいになるのがオチ。母親や周りに気を遣うのも、その後なにか言われるのも面倒なんだもん!それに、どうせ卒業式なんて来ないんだから、別にいいよね!ってことで9万近くを自費で払うことに。

 

ただ、どうしてもお金が足りなくて…うちはお小遣い一切出ないんだ😅 かと言って、援助してもらって、『都合のいい時だけお金たかるんだから』って言われても嫌なので、貯金箱を召喚しました。

 

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500円玉貯金。缶いっぱいになると、30万貯まるらしいけど、残念ながらそんなに貯まってなくて…8万5000くらいだと思う。

本当は、海外旅行の資金にしようと思ってたんだけど…泣く泣く諦める!だって10月から消費税10%なんだもん!😭

 

てなわけで決意。

何年かかるか分かんないけど、いつか絶対海外旅行に行く。

当然、一人暮らしもする。

またいつか、500円玉貯金をする。

この先お金に困っても、絶対母親を当てにしない。

 

頑張るぞ👊

 

 

余談

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重さの割に半分も入ってなかった笑

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ゲーセンでよく見るメダルみたい!

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違うやついた笑笑

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10万2600円!!

ちなみにやってたの2年~3年生かな。10万持ってるってやばいなって思った。あの頃の私グッジョブ👍 終わり😎

思い出

 

「ふゆに乗られたら、お母さん死んじゃうよ?!」

 

たしか、6歳の時だった。実の母親に抱っこを拒否された。

この出来事が母を憎む全てではないけれど

きっとおそらく、この言葉がすべての原点。

 

 

懐かしい道を車で走る。私の住所には“市”の文字がつかない。そのくらい田舎。だから、スーツを新調しに行くにも、隣の市に行かなければならない。不便だけど、車があればなんてことない。この地域で育った私には、それが日常だった。

これから行く場所は、大きな映画館があって、幼い頃よく映画を見に行った市だった。私の大好きなキャラクターのカードゲームのゲーム機がある市だった。中学生の時、町から出るバスに乗って、友人と遊びに来たこともある。懐かしい場所。高校、大学が別の市だったこともあって、昔よく来ていたこの場所は年に一度か二度に訪れるくらい頻度が少なくなってしまった。

とはいえ、スーツを選びに来た先週、一度母親と2人でこの地に足を踏み入れている。あの時は、嫌で嫌で仕方がなかった。ここ最近、母親と2人の空間が、とてつもなく憂鬱なのだ。いや、憂鬱なんてうっそうとした言葉だけでまとめられる訳がない。嫌悪感で発狂しそうになった。そのくらいあの時間が苦痛だった。

さすがにスーツを取りに行くのはついていく必要はないと思ったのか、今回はついてこなかった。ほっとする半面、疑問に思う。一体いつから、私は母親を…母親の愛を見切っていたのだろう?

 

どんなに酷い言葉で、叱るように罵倒されても、私は母親が大好きだったはずだ。妹よりも父親よりも、優しい祖父母達よりも、誰よりも。仕事で忙しい母。休日も寝てばかりで、昼過ぎまで起きようとしなかった。娘達のことは放ったらかし。それでも好きだった。母が好きだった。

 

本当に?

心がスッ…と冷たくなる。

好きだったはず。でもどこか遠慮していた。どこか距離を置いていた。愛情を伝えていない気がする。愛情が伝わった記憶もない。幸せを感じたのは、いつだって何かしらの“物”だった。食べ物、贈り物、漫画や映画。そこに愛情はなくて、幸せをお金で買う音が聴こえる。あれ?今の、空耳?記憶違い?

 

信じたくなかった。

何度思い返しても…今までの私の幸せは、全てお金で作られたものだった。

大好きだったはずの母親からの、母だけの愛は

私の記憶には、ひとつもない

 

「ふゆに乗られたら、お母さん死んじゃうよ?!」

 

唐突に思い出した、強烈な一言。

たしか、6歳の時だった。

実の母親に、抱っこを拒否された。

 

当時も今も私は父親の家系によく似ていて、太っていた。対して母は身長は低く痩せている。座っている母親の膝の上に乗ろうとした時、重いからやめてくれと言われくずったら、ものすごい剣幕で怒られた。ショックだった。

 

当時の私は、悲しくて

でも、お母さんが怒っているから、嫌がっているから……

その日から私は、母親の膝の上に座ることはなくなった。

抱っこもせがまなくなった。

 

愛情をどこに吐き出せばいいのか分からなくて、心の中でかき消した。

愛情を直接もらうこともなくなった。

『大好き』なんて言葉を、生まれて一度も聞いたことがない。

 

私は、私は、

愛を渇望しているのに

愛することも

愛されることも怖がって

ただの哀しい臆病者に、なってしまった。

 

妹は、甘え上手だった。

幼い頃の顔立ちは母親によく似ていた。親戚の中でも幼かったから、いろんな人に可愛がられた。

そして何より、太りにくい体質。いつまでも、いつまでも母親に抱きついていた。高校生にあがるまでずっと。母親は『重いよ〜』と言いながらも、決して怒ることはなかった。私はただ、悲しかった。

 

両親が喧嘩して、父親が母親を怪我させた時から、家の中は凍りついた。母親は父親と喋ることがなくなった。イライラの矛先は、ゆっくりと、でもたしかに、私へと向いていく。可愛くて母親によく似た妹ではなく、私に。理不尽な怒りをぶつけられていることに気づいたのは、大学生になってからだった。母親から愛情なんて感じられなくなって、私とのやりとりはお金の報告と損得勘定だけ。半年くらい前に、嫌悪へと変わった。早くこの家を出たい。見せかけの愛情に振り回されることに、私はもう疲れきっていた。

 

 

新調したスーツを取りに来た。あの映画館は壊されていて、跡形もなかった。市内のショッピングモールに移転するらしい。幸せだった証が、消えてなくなってしまったようで、心に穴が空いた気分だった。今が幸せじゃないと感じるから、余計に。

 

あの時が、本当の本当に幸せだったかどうかなんて、覚えてはいない。偽物だったのかもしれないし、いろんなものを犠牲にしての喜びにくい幸せだったのかもしれない。

けど、信じたい。確かに幸せであったと。そうでなくては、今の私が消滅してしまいそうだから。

 

ごめんね。

6歳の自分に謝る。

あなたはこれから先、愛情を受けられる機会はめっきり減ってしまう。

大切なものが分からなくなる。自分という核が見つけられない。流されることが多くなる。自分に精一杯で察することができない。夢が見つからない。食べることが幸せで、依存してしまう。辛いことが多くなる。きつく当られることも増える。それでもあなたは、弱みをみせることができない。苦しみを吐き出せない。素直になれないし、自分の過ちを認めることも難しくなる。幸せになんて、なれないの……

 

目を閉じる。

真実か嘘か曖昧な、でも確かに幸せだったあの頃が瞼の裏に映る。

どうか少しでも、今の私より笑える回数が増えますように。

目を開けて、ハンドルを握る。

映画館の跡地は見晴らしが良くて、青空を目にやきつけながら、私は帰路についた。

遥か、真っ直ぐ

どうも。お久しぶりの更新です。

母親と言い合いになりました。私を傷つける言葉を言わないで欲しい。そのくらいならきっと理解してくれるだろう。そう抱いた淡い期待は、呆気なく崩れていきました。

今日は友達と遊びに行ったのですが、夕飯前に解散しました。喧嘩したのは朝LINEでだったので、そのまま帰るのは絶対嫌。だから、帰り道にあるショッピングモールの映画館で、レイトショーを観ました。

 

家に着くのは大体23:30。最近、仕事が忙しくて、その時間なら確実に寝てる…と思ったのに。家に明かりがついていました。今日、家には母親しかいないので、間違いなく起きてます。

こんな時間だし、話す気力も無し。近くのファミレスで時間を潰してもよかったのですが、スマホの充電は20%を切っている状態。

 

だから、思いついちゃいました。そうだ、ドライブしよう。

 

家の前の道をひたすら真っ直ぐ行く。中学時代に通っていたスイミングスクールに行く道でしたが、その先は行ったことないぞ……と、ちょっとの高揚感を胸に、車を走らせました。

 

中学時代…多分、人生で一番、輝いていた時期。ちょっと語弊があるな…一番、母から期待されていた時期でした。

その期待は母の愛情と同等のものだったと、今では思います。その愛は私の自信に変換されていた。自信に満ち溢れていて、なんの心配もせずに、ずっと笑顔でいれた時期。人を嫌いになれなかった時期。みんなのことが大好きだった時期…

窓から見える景色は、そんな時期を思い出させました。スイミングスクールの友達と行ったカラオケ店。打ち上げをしたファミレス。同窓会を開いたレストラン。

懐かしくて、嬉しくて、寂しくて…哀しかった。

 

やがて思い出を後にして、見知らぬ景色が目に映った時は、ちょっとホッとしました。哀しみは消えなかったけど。

このまま私は、どこ行くのかな?海に浮いて、波に揺れるような感覚。気持ちいいような、心許ないような、そんな感じ。

 

その後、めちゃくちゃ呆気なかったです。懐かしい風景を過ぎてわずか5分。民家が並ぶ細い路地に入って、突き当たってしまいました。右も左も家に続く道。旅は片道20分で終わり。つまんないとは思わないけど、拍子抜けだよね。さすが田舎。笑

 

そろそろ帰ろうかなと思います。さすがに1時は寝てるだろ。そう信じて、おやすみなさい。

 

How to make it Vol.2

ほんの些細なことで、母親に怒鳴られました。

ここ最近、母親の仕事が忙しくなってきたんです。教師から教頭に昇格。学校も家から遠いところに異動して、かなり忙しい様子。じゃあ手伝わなきゃだよね、と思い、色々従順にやってきたつもりでした。のに。

やっぱり気に食わないことがあると、大声をあげ私を罵倒する。静かに注意っていう概念が、あの人にはないんでしょう。ストレスは溜まり、やってられない。早くお家出て、1人で暮らしたいな……あと1年。頑張れ私。

 

 

さて、そんな傷ついた自分を癒すには、これに限ります。

頭の中で、元気で明るくて、真っ直ぐで可愛い女の子を作り出し

その子を中心に、いろんな物語を作る。大体恋愛系です。

 

人はこれを、なんて言うんでしょう……想像?妄想?空想?

改めて見ると…“妄”って、すごい字ですね(笑)“女を亡くす”…かぁ……ちょっとまだなくしたくないんで、ここでは“想像”って呼びましょうか。

 

今想像で作ってる物語は……普通に生活したい女の子に突然、許嫁が現れて…いろいろ、ひっちゃかめっちゃかするお話。

実は、文字にも起こしていたりします……エブリスタっていうサイトでちまちま活動中です。ほんの趣味程度。でも、私にとって今のところ生きがいでもあります。

 

主人公の女の子が、勇気を持って行動したり、友人と何気ない学校生活を送ったり、許嫁といろいろあったり

全部私の想像ですが、私の“理想”でもあります。

友人や許嫁から愛される…まさに私の理想の女の子です。いろいろ重いものを抱えている主人公ですが……羨ましいな、って思っちゃう。自分で作ってるのにね。…いや、自分で作ってるからか(笑)

ちなみに、主人公の両親は仕事で海外に行ってる設定。主人公のことを放ったらかしですが、彼らもまた主人公のことを愛してます。い、いいなぁ……

 

余談ですが…私のえがく物語はみんな、両親が不在のものが多いです。

今回の主人公は、海外住まい。許嫁の実母は亡くなっていて、実父とは犬猿の仲、養母は最近なんとか仲良くなった感じ。物語によく登場する幼馴染…の両親も海外住まいです。

もう1つ書いてる物語の主人公(女)は、両親が亡くなってます。その子のヒーロー的存在の男の子も、父親と犬猿の仲。(あれ、どっかで見たことあるぞ〜(笑))主人公は家を飛び出して仲間と旅をするんですけど、その仲間も両親不在が多いです。

未公開の物語もありますが…そちらに関しては、主人公とその取り巻きの同い年の兄弟(血の繋がりなし)は両親全滅です。

物語自体は高校生の時から書き始めたんですけど……その法則に気づいたのは、大学生ぐらいだったかな。

マジで無意識でした。よく考えたら、みんな両親いないじゃん……って。当時はそこまで両親を嫌ってたわけじゃないはずなのに…やっぱ根っこの部分がもう駄目なんだな、って再確認できた瞬間だった。

『幸せな家族』…っていうのが、いまいちイメージしにくいんでしょうね。漫画はすごく好きなんですけど…家族と触れ合うシーン、共感できるところが思い返すとないなぁ……って。自分とは切り離して考えてるとこ、あるんだって思いました。今(笑)

(じゃあ、作る物語の登場人物みんなの両親、いなくなればいい!って考え方も、もしかしたら中々サイコパスなのかもしれない)

 

あぁあ…また語っちゃったよ……余談じゃないじゃん……

 

話を戻すと……想像すると、すごくワクワクするんです。私を、夢の世界に連れてってくれるみたいなんです。現実であった嫌なこと、全部なかったように思えるんです。別に、主人公になりきってるわけじゃない。誰も傷つけず、誰にも傷つけられない世界が、私の中で広がってるんです……

 

小さい頃、よくやったなぁ…空想ごっこ。自分にはペットのハムちゃん達がいて、習い事行く時とか、いつも一緒に行ってたっけ…。空想ですよ?実際、動物なんて飼ってません(笑)

今思えば…あれが今の自分の根源だったのかもしれない。今やったら、確実に厨二病って言われちゃいそうだけど(笑)

 

過去一語ってるな……要は、自分の世界に浸るのが好きなんです。自己満で、趣味程度の小説書いてます。思いが詰まりすぎw 今日はこの辺で。明日から新学期だ…頑張りましょう。