ないがしろ

悲しくなった話。

 

小中学校時代、水泳をしていた。
花粉症の影響で咳は出てたし、呼吸も辛かったけど、頑張ってた。だって、休むと母親に怒られるから。


結果は関東止まり。県で入賞も厳しいくらい。

水泳は嫌いじゃないけど、タイムを縮めることになんとなく限界を感じてた。だから、高校生に上がる時に辞めた。

 

もうね、花粉症、本当に酷いの。まず、鼻水が出て、しばらくすると、鼻が詰まる。で、いずれ両方の鼻の穴が詰まって、口呼吸になる。鼻水と乾燥が合わさって、喉が痛くなる。咳が出る。痰が出る。息苦しい。小さい頃は、ずっとそのサイクルの繰り返し。スポーツで息苦しいなんて、致命的でしょ?


休むとめちゃくちゃ怒ってた母親は、引き留めようとしたけど、私の意思が何とか尊重された。でもやっぱり、水泳を頑張っていた妹の方に、目をかけていたんだ。

 

 

大人になってきて、花粉症との付き合い方が分かってきた。
ゼーハーすることはなくなった。痰も出ないし、咳き込むこともなくなった。小中学校時代より、生きることが楽になってきた。物理的にだけどね。

 

でも最近、校庭で走ったら、くしゃみが止まらなかった。息もまた苦しくなった。
せっかくだからと思って、検査してもらいに、病院に行ったの。今、一人暮らし中だから、その近くの病院へ。

 

そしたらお医者さんに「呼吸の仕方から、喘息ですね」って言われた。

 

「喘息を治療しましょう。」

「このままだとスポーツはできなくなる。」

「薬飲んで落ち着けばスポーツしても大丈夫です。」

 

えっ?って、なんか信じられなかった。

だって、喘息だと診断されたのは、小4の時以来。「今だけですから」とも言われた。

当時、花粉症の薬貰いに行ってた医者からは「喘息“気味”ですね」としか言われなくて、スポーツ駄目とか、全然、言われてない。

 

それに、それに、今なんかより、子どもの時の方がずっと苦しくて、しんどかったんだよ…?

 

どうしても練習がしんどくて、でも熱は無くて、水泳をズル休みしたことがあった。母親に罵られて、『休めないんだ』って、絶望しながら、行ってた記憶がある。

 

あの日のあれは、ズルでもなんでもなかった。

母親は、私の咳や痰が酷いことを知っていた。

きちんと治療していれば、苦しい思いをしなくて済んだかもしれない。

 

全部全部、私は蔑ろにされていた。

蔑ろにされていたし、自分も蔑ろにしていた。

私の気持ちも体も、私の物で、大切にしなきゃいけなかったのに

そうすれば今、もっともっと生きやすかっただろうに

 

悲しくて、切なくて

それでも今日、「喘息ですね」と、きっぱりはっきり言われて、ちょっとホッとした。

 

あの日の自分は、嘘をついていなかったからか

この現状を、全部母親のせいにできるからか、分からないけど

 

復讐だとか、当てつけだとか

成人式の振袖は、母親のお古だった。

淡いピンクで、桜が散りばめられている振袖。可愛いけど、少しだけ地味だった。地味っていうか、清楚な感じ。でも私は、広瀬すずちゃんが広告で着ているような…パキッとした赤の、もっと大きなお花が描かれている振袖が、着たかったんだ。

そんなことは言えなかったけどね。お金かかっても申し訳ないし。いうて、たかが成人式だし。なんて思ってた。

 

数年後。母親との関係は悪化。そんな中で、私は卒業することになった。もう母親の思い通りにはさせたくない。その時の貯金を切り崩して、赤い着物を注文した。まるで、あの日の当てつけのように、袴には桜が描かれていた。暑い夏の季節。就職試験の勉強をしていた頃の話。

 

そして1週間前。例のウイルスで、卒業式が中止になったと通知が来た。

あの時はカッとなって、自分のお金で片付けたけど、着物と袴は合わせて8万した。そのお金と全財産を合わせれば、おそらくちゃんと、一人暮らしができる…そう考えたら、ちょっとだけラッキーな気分だった。

 

もちろん、卒業式や、卒業にまつわるイベントがなくなったことは、ちょっと寂しい。でも、お金のない学生の、8万だよ?結構大きいじゃないか。それに、あの頃の私と何も変わってない。『いうて、たかが卒業式だし』。

 

卒業式だった日に、近づいていく。周りの友達との温度差が、自分の内側で、どんどん露呈していく。とりあえず“悲しい”“寂しい”って、合わせるけど、本当の感情と全然噛み合わない。なんか、なんか息苦しい。

そりゃ、周りの友達は、家族が仲良しで、お金の心配もないんだから、当たり前でしょ。その違和感や苦しみとは、もう何年も戦ってきてるよ。いい加減慣れなきゃ。

誤魔化した反面、ちょっと疑問。『私は、異常なのかな?』

 

『卒業式がなくなっても、悲しめない。』『代わりに、お金が返ってくることが、嬉しい。』あれ。あれれ。なんだか私、めちゃくちゃ不謹慎だよね?全然、普通じゃないよね??ていうか、すっごく最低な人間じゃない???

 

ふゆのゆは、優しいの優。母親から、名前の由来を聞いて、人に優しくなろうって思った。嫌いな人はあんまりいないし、笑顔は大得意だ。

それがいつの間にか、足枷になっていた。名前をくれた母親に、『ふゆには、なんでも言っていいと思って…』と、言われた。それに続く言葉は、“だから、暴言を吐いてもいいと思った”。母親は何も言わなかったけど、それしか当てはまらなかった。

私の存在価値は、そんなものだったんだ。母親のストレスのはけ口として、私の優しさが必要だった。その時は、悲しくて、辛くて、ずっと死にたいって思っていた。実の親にそんな風に思われる自分が、惨めで仕方なかった。

 

でもね、そうじゃなかった。もう、根本が駄目だったんだ。何もかもが、手遅れだったんだ。

 

 

そんな中…今日、袴の返金の通知が来た。

卒業式の中止は、あれほど悲しくなかったのに……明細書を見ていたら、なんだか胸が締め付けられた。着物は赤地の桜模様。袴は緑地で、こっちも桜。中は黄色で、早割りで安くなったから、靴をブーツに変えた。全部、明細書に記されていた。あの暑い夏、心踊った記憶と一緒に。

そしてその記憶の中の行動は、結果的に母親の当てつけになるところだった。私は、あの高揚感を、自分の中で凶器に変えようとしていたんだ。復讐の道具にしようとしていた。なんて、なんて惨めなんだろう。

 

 

人生で最後の卒業式が、なくなった。今はちょっとだけ、寂しいと思えるよ。それでもなお、人とのズレに、焦る時もあるけれど、なんとか生きていけたらいいな。

 

 

日記 1/19~26

1/19(日)

人と会いすぎて疲れた。お金がまじでない。笑

これって、幸せ疲れなのかな?笑

 

1/20(月)

ずーっと動画見てた。

 

1/21(火)

友達としゃぶしゃぶ食べて、カラオケ行った

歌声まじでひどかった。笑

 

1/22(水)

今日はあんま良いこと無かった。ちょっとイライラデーだった。

明日はパンケーキパーティーするんだ。楽しみ。

日記(1/12~19)

1/12(日)

荷造り楽しい。小説書くのが楽しい。

遠足待ちきれない小学生みたいに、最近眠れない。だから小説を書く。気づいたら3時。起きてる時間が小学生じゃない。笑

 

1/13(月)

バ先のニコニコ笑顔の女子高校生が可愛かった。

久しぶりにバイト行ったら「先生お久しぶりです」

帰る2時間前くらいに「先生帰っちゃうの寂しいです」

事務のバイトだから、私は先生じゃないんだけど、先生って呼んでくれるの可愛いし

レアキャラの私のこと覚えているだけでも可愛いし

寂しいって言ってくれるの嬉しいし

今日は「自慢してもいいですか?今日、お弁当自分で作ってきたんです」って言って可愛いお弁当見せてくれた

もうすべてが可愛い、、、

 

1/14~16

沖縄旅行。総じて楽しかった。食べ物が美味しいし安かった。お金がまじでない。

 

 

日記(1/10~11)

1/10(金)

役場に出かける時、近所の見知らぬ男の子に話しかけられた。まだ小学校1年生くらい。「こんにちはー!」「これから郵便局に行くの!」「気をつけてね!」

なんだあの子。天使か。笑 めっさ癒された。笑

 

1/11(土)

バ先の塾で、受験生を応援するポップを作った。楽しかったし頑張った。結構いい出来だったと思う。お世辞かもしれないけど、社員さんにも褒められた。嬉しかった。

日記

大事なことに、気づきました。

 

せっかくおばあちゃんから、ちょっとの自信と元気をもらったのに…相変わらずの母親の罵声で、全部無くなっちゃいそう。

うっかりしてた。だって、あれだけ訴えれば分かると思ったんだもん。結果、何も分かってくれなかった。忘れてた。そういう人なんだよ、あの人は。

そんなのだめ。絶対嫌だ。あんなののせいで、またあの頃の自分に戻るのなんて、まっぴらごめん。

 

だから、今の自分を見失わないためと、自己肯定感を高めるために…その日にあった良い事や、頑張った事、嬉しかった事、一文でもいいから、日記にしたいと思う。

 

いつまで続くかな、、、なるべく頑張ります。笑