復讐だとか、当てつけだとか

成人式の振袖は、母親のお古だった。

淡いピンクで、桜が散りばめられている振袖。可愛いけど、少しだけ地味だった。地味っていうか、清楚な感じ。でも私は、広瀬すずちゃんが広告で着ているような…パキッとした赤の、もっと大きなお花が描かれている振袖が、着たかったんだ。

そんなことは言えなかったけどね。お金かかっても申し訳ないし。いうて、たかが成人式だし。なんて思ってた。

 

数年後。母親との関係は悪化。そんな中で、私は卒業することになった。もう母親の思い通りにはさせたくない。その時の貯金を切り崩して、赤い着物を注文した。まるで、あの日の当てつけのように、袴には桜が描かれていた。暑い夏の季節。就職試験の勉強をしていた頃の話。

 

そして1週間前。例のウイルスで、卒業式が中止になったと通知が来た。

あの時はカッとなって、自分のお金で片付けたけど、着物と袴は合わせて8万した。そのお金と全財産を合わせれば、おそらくちゃんと、一人暮らしができる…そう考えたら、ちょっとだけラッキーな気分だった。

 

もちろん、卒業式や、卒業にまつわるイベントがなくなったことは、ちょっと寂しい。でも、お金のない学生の、8万だよ?結構大きいじゃないか。それに、あの頃の私と何も変わってない。『いうて、たかが卒業式だし』。

 

卒業式だった日に、近づいていく。周りの友達との温度差が、自分の内側で、どんどん露呈していく。とりあえず“悲しい”“寂しい”って、合わせるけど、本当の感情と全然噛み合わない。なんか、なんか息苦しい。

そりゃ、周りの友達は、家族が仲良しで、お金の心配もないんだから、当たり前でしょ。その違和感や苦しみとは、もう何年も戦ってきてるよ。いい加減慣れなきゃ。

誤魔化した反面、ちょっと疑問。『私は、異常なのかな?』

 

『卒業式がなくなっても、悲しめない。』『代わりに、お金が返ってくることが、嬉しい。』あれ。あれれ。なんだか私、めちゃくちゃ不謹慎だよね?全然、普通じゃないよね??ていうか、すっごく最低な人間じゃない???

 

ふゆのゆは、優しいの優。母親から、名前の由来を聞いて、人に優しくなろうって思った。嫌いな人はあんまりいないし、笑顔は大得意だ。

それがいつの間にか、足枷になっていた。名前をくれた母親に、『ふゆには、なんでも言っていいと思って…』と、言われた。それに続く言葉は、“だから、暴言を吐いてもいいと思った”。母親は何も言わなかったけど、それしか当てはまらなかった。

私の存在価値は、そんなものだったんだ。母親のストレスのはけ口として、私の優しさが必要だった。その時は、悲しくて、辛くて、ずっと死にたいって思っていた。実の親にそんな風に思われる自分が、惨めで仕方なかった。

 

でもね、そうじゃなかった。もう、根本が駄目だったんだ。何もかもが、手遅れだったんだ。

 

 

そんな中…今日、袴の返金の通知が来た。

卒業式の中止は、あれほど悲しくなかったのに……明細書を見ていたら、なんだか胸が締め付けられた。着物は赤地の桜模様。袴は緑地で、こっちも桜。中は黄色で、早割りで安くなったから、靴をブーツに変えた。全部、明細書に記されていた。あの暑い夏、心踊った記憶と一緒に。

そしてその記憶の中の行動は、結果的に母親の当てつけになるところだった。私は、あの高揚感を、自分の中で凶器に変えようとしていたんだ。復讐の道具にしようとしていた。なんて、なんて惨めなんだろう。

 

 

人生で最後の卒業式が、なくなった。今はちょっとだけ、寂しいと思えるよ。それでもなお、人とのズレに、焦る時もあるけれど、なんとか生きていけたらいいな。